2017年7月14日 (金)

信号無視

 
 
私が交差点へ進入した時、信号は黄色から赤へ変わるところでした。本来なら黄色は 「止まれ」 を意味するので、黄色で交差点へ進入すれば信号無視になります。
 
 
ここで重要になるのは、「信号無視を意図的にした」 のか、それとも 「信号無視をするつもりは無かったが、結果的に信号無視になってしまった」 のかという問題です。
 
どちらにしても信号無視には変わりありませんが、犯罪の重要性、即ち 「罪の重さ」 というのを計る意味で、この問題は軽視できないのです。
 
 
特に警察側は、被疑者を起訴して有罪にするための材料として、この信号無視が極めて悪質なものであったという証言と裏付けを取らなくてはいけません。
 
 
 
 
 
以前の記事 で衝突時の状況を説明しました。
 
 
当時の走行スピードは時速90km超ですから、小さな交差点なら一瞬で通過してしまうことでしょう。しかし、現場は小さな交差点が二つ連なる異形の交差点でした。それに気付くのが遅れ、そのまま通過するべきか否かの判断を下す前に交差点に進入してしまい、事故に至ったのです。
 
今回の事故における一番の原因は、もちろん過度の速度超過です。交差点の形状に関わらず直ぐにブレーキを踏んでいれば、悲惨な事故は免れた可能性もあります。
 
 
私も当然ながら教習所に通い、運転免許試験場で試験を受けて合格し、その結果として運転免許を授かっています。教習所では、「危険を感じたらハンドル操作よりもまず減速」 ということを基本として教えているはずです。しかし私は自身の運転技術を過信する余り、その大事な基本を疎かにしていました。
 
私は仕事で後輩に 「忙しい時こそ基本が大切だ!」  とか、「基本を何度も反復練習した者は逆境に強い!」 といったことを繰り返し話しています。仕事に限らずスポーツなどでも同じことが言えるでしょう。
 
しかし、基本の大切さは車の運転でも同様のはずです。それなのに、当時の私の頭からは、そんなことがスッポリ抜け落ちていたとしか言えません。何と偉そうなことを言っていたのか、今となっては恥ずかしい限りです・・・
 
 
 
目の前の信号が黄色から赤に変わるまで3秒、それから交差する道路の信号が青になるまでにさらに3秒かかります。私が黄色信号を確認してから実に計6秒の時間があったわけです。
 
 
 
その6秒間のうちに交差点を通過できなかったのか?
 
 
 
という疑問が生まれますが、現実には通過できませんでした。そうなると今度は、被害者が信号無視をして道路を渡ってきたという疑念が浮上します。信号が変わるまでの時間差を考えると、被害者が信号無視をしない限り両者が接触するはずがないという理屈になります。
 
 
 
しかも被害者は自転車に乗っていましたから、徒歩での横断に比べると明らかに横断スピードは速くなります。
 
実際に自転車のタイヤの径から円周を求め、それにおおよその走行スピードを掛け合わせ、さらに道路の幅と傾斜、私の車の走行スピードから算出した交差点への進入状況を考慮すると、被害者も信号無視をしていたのではないかという疑念が一層高まる結果になりました。
 
私は留置場という檻の中でひたすらその計算をしました。もちろん電卓などありません。幼少時に珠算を習っていたので、普通の人より少しだけ暗算が得意といった感じですが、この時ばかりは 「そろばんをやっていて良かった。」 と思いました。
 
 
 
しかし、私は事故当時に大切なことを見逃していたのです。
 
 
交差する道路の信号、つまり被害者が横断してきた側の信号を確認していなかったのです。
 
 
 
これでは仮に被害者が本当に信号無視をして横断してきたとしても、私には一切反論する余地がありません。実際に取調官に 「信号は確認したのかい?」 と聞かれた時も、「見ていないので判りません。」 としか答えられませんでした。
 
しかも被害者が大怪我を負って死の淵を彷徨っている最中に、加害者の私がどう被害者を責められるでしょうか?
 
私のように薄汚れた人間でも、このような場面で自己の正当性を主張し続けるだけの図々しさは持ち合わせていませんでした。
 
 
 
更に、警察は被害者の過失など最初から考えていません。
 
 
 
事故の状況から言って私が全面的に悪いのは分かっていますが、例え被害者に少なからず過失があったとしても私の主張を完全にスルー。被害者の過失など最初から無かったものとして話を進め、100%私が悪いものとして扱います。
 
誘導尋問に加えて被疑者の主張を受け付けない警察の態度、被疑者とは正に 「疑いを被っている存在」 というのがよく解ります。
 
 
 
警察の汚いやり方がここでも垣間見えました。
 
 
 
 

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